ついに伝統の名車が生産終了! かつて隆盛を誇った「三菱ミラージュ」の歴代モデルを振り返る (2/2ページ)

ミラージュの復活に期待!

 1983年に2代目がデビューするが、2代目は初代に比べればややオーソドックスなコンパクトモデルになったのだが、その宣伝戦略に当時驚かされた。CMキャラクターとして起用されたのが忌野清志郎氏で、CM曲は同氏を中心に構成されたバンド“RCサクセション”の“ベイビー逃げるんだ”。そしてこの曲名はテレビCMのキャッチコピーとしても使われたのだが、これは糸井重里氏のコピーであった。CMは2パターンあり、忌野清志郎氏が曲に合わせ、ミラージュをバックにひたすら踊り「三菱ってのが作ったんだぜ」で忌野清志郎氏が締めるものと、忌野清志郎氏が“市民A”と“市民B”にインタビューしミラージュの“売り”を紹介し、最後に「ミラージュで町内走ってくるぜ」で締めるものであった。

 当時筆者は高校生で、いつもつるんでいた友達の間でRCサクセションの曲をよく聞いていたので、筆者がたたまたまVHSビデオで録画したミラージュのCMをみんなで集まっては見ていたのを覚えている。“三菱”と企業名につくだけで自動車に限らずお堅いイメージが強かっただけに、2代目ミラージュのはじけたテレビCMはクルマそのものより、かなり鮮烈なものであった。

 2代目ではマイナーチェンジ後には、エリマキトカゲをCMで起用し日本におけるエリマキトカゲの大ブレイクの一助になったとされている。

 1987年にデビューした3代目は筆者としては、“インディデュアル4ドア”として同時期にデビューした6代目ギャラン(久しぶりに“Σ”がとれた)をそのまま小さくさせたようなセダンをとてもよく覚えている。4ドアセダンのほかにハッチバックもあり、そのなかで2シーター仕様となる“XYVYX(サイビクス)”という意欲的なモデルも設定された。リヤサイドはグラスレス(ガラスがない)仕様となっており、エンジニアの意欲は伝わるものの、消費者サイドはなかなか理解できないものもあった。それだけ当時の日本車は元気いっぱいで柔軟性がいまより数百倍あったということかもしれない。

 1991年にデビューした4代目で語らずにいられないのがV6エンジンの搭載だろう。1.6リッターDOHCとなるV6エンジンを搭載したモデルは“ミラージュ6”と名付けられた。当時の勤務先に社用車としてミラージュ6があったのだが、カローラサイズの5ナンバーボディのエンジンルームにギッシリとV6エンジンが搭載され、運転してみると明らかにフロントヘビーな印象が伝わってきたのを覚えているが、カローラクラスにV6を搭載したその意気込みは当時かなり話題となった。日本車の絶頂期を語るトピックといってもいいだろう。

 1993年には2ドアクーペの“アスティ”がデビュー。1.3リッターを搭載する廉価グレードのVが100万円を切る軽自動車並みの価格設定が話題となった。その後日産サニールキノ、スバル・インプレッサ リトナといった同種の2ドアクーペが国内デビューしている。いずれもおもに北米市場で当時パーソナルユースとして、コンパクト2ドアモデルのニーズがあったため、輸出を主眼に開発したものを国内にも導入したところ注目されたのである。

 5代目になると、4代目の流れを引き継ぎアスティなどもラインアップされたが、残念ながらこれといったトピックはなかった。なお継続搭載されたV6は1.6リッターから1.8リッターになっている。5代目のタイミングで“ミラージュ・ディンゴ”というコンパクトMPV(多目的車)がラインアップされていた。メカニズム面では5代目ベースというわけではなかったが、個性的な丸目2灯式ヘッドライトが印象的なモデルであった。

 5代目が2000年に販売終了となり、しばらく間をおいて2012年に前述したタイ生産モデルが6代目ミラージュとしてデビューしている。デビュー当時は唐沢寿明氏、本仮屋ユイカ氏をCMキャラクターに起用。複数パターンのCMを作るなど積極的は宣伝を行っていた。そのCMのなかには、“ガソリン車”とか“登録車”などとして低燃費ナンバー1というものを強調するものもあった。

 今回はあくまで現行ミラージュの生産終了となる。三菱ミラージュがこれで絶えるとしているわけではない。BEV(バッテリー電気自動車)や、PHEV(プラグインハイブリッド車)のラインアップでは、日本メーカーのなかではかなり積極的なので、時間があいたとしてもコンパクトクロスオーバースタイルのBEVなどとしてミラージュの車名が復活したりすることを筆者は期待している(その場合はパジェロイオかな?)。


小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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