新車なのにインパクトなし! 地味なのに売れ続けた「プリメーラ」伝説から考える派手な「新型プリウス」の行方 (2/2ページ)

奇をてらわずに成功した初代プリメーラの例も

「新車としての理想的な売れ方」として伝説的に語られているのが初代日産プリメーラといえよう。初代プリメーラは1990年にデビューしている。当時の日本車はいまに比べれば元気いっぱい。消費者をあっといわせるような見た目や仕掛けを積極的に採用するなど意欲的なモデルが多いなか、保守本流の当時の欧州車を意識したオーソドックスなセダンスタイルを採用。メカニズムもとくに目立ったものもなく、デビュー時に大きく注目されたわけでもなかった。

 しかし、その実直なクルマ作りがじわじわと注目されるようになり、販売台数をグラフにすると右肩あがりに売れるようになり、目立って売れたわけでもないが、安定した販売台数を長期間維持することとなった。一般的な新車では、デビュー直後から右肩下がりに販売台数が落ち込み、マイナーチェンジなどで販売台数を浮上させながら次期モデルへとバトンタッチしていくことになるが、初代プリメーラの販売動向は確かに異なっていた。

 プリメーラに似た例としてデビュー直後は大注目されなかったものの大化けしたモデルとしては、初代スズキ・ワゴンRや、初代ホンダ・オデッセイなどを挙げることができるだろう。

 プリメーラの場合は単に飽きの来ない見た目だけではなく、基本性能を磨きこんでいたことが根強い人気を維持したものとされている。あえて「奇をてらわない」ことが功を奏したようだ。

 クラウン・クロスオーバーは確かに先代に比べれば現段階では販売台数も多くなっており、従来モデルに比べれば新規ユーザーを取り込んでいるようにも見える。しかし、街なかで走っているクラウンのドライバーをみると、いままでのクラウンユーザーのような年配ユーザーが運転しているケースが目立っているなあと感じるのも確か(セールスマンとの長い付き合いもあり、クラウンからクラウンへのような乗り換えも相変わらず多いのかなあとも感じている)。

 昭和でも平成でも、そして令和でもヒット車を世に送り出すことは難しい。平成初期にあるメーカーの開発者は「世に送り出したモデルの2割が当たればいいほう」などと言っていたのを覚えている。より社会が多様化している令和の時代では真のヒットモデルを世に送り出すのは至難の業のように見える。新型クラウン・クロスオーバーや新型プリウスが令和のヒットモデルとして名を残すことになるのか今後も見守っていきたい。


小林敦志 ATSUSHI KOBAYASHI

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