必要ないのに「大人の事情」で日本に導入! トヨタの販売力をもってしても惨敗した「キャバリエ」という残念なクルマ

この記事をまとめると

■トヨタには「シボレー・キャバリエ」のOEMモデル「キャバリエ」があった

■トヨタ車の似たような排気量を持つマークII 3兄弟よりも40万円以上安価だった

■貿易不均衡を解消する計画など大人の事情で導入されたが想定の半分も売れなかった

トヨタの力をもってしても売れなかった悲しきOEM車

 トヨタと言えば“販売のトヨタ”とも称され、OEMモデルであろうが強大な販売網と販売力によって、本家よりも販売台数を稼ぐということもザラだ。しかし、そのトヨタをもってしても、決して販売が好調だったとは言えないモデルが存在していた。それが1996年1月に販売をスタートした「トヨタ・キャバリエ」である。

 4ドアセダンと2ドアクーペという2種類のボディタイプを持つキャバリエは、2.4リッターという排気量のエンジンを搭載していながらも181万円~という低価格が魅力となっており、当時のマークII 3兄弟の2リッターモデルよりも40万円以上も安価な価格となっていた。

 ただ、内外装のデザインなどは当時のトヨタ車とは一線を画す、よく言えば個性的、悪く言えば奇抜なデザインとなっていたのだが、それもそのはず。このキャバリエはゼネラルモーターズが生産し、シボレーブランドから販売されていた「シボレー・キャバリエ」のOEMモデルだったのだ。

 当時のトヨタとしてはすでに2リッター前後のセダンやクーペは複数存在しており、わざわざ日本国外からこのクラスの車両をOEMで導入する必要はまったくなかったのだが、これには当時の日本とアメリカの間で課題とされていた貿易摩擦の緩和を図りたいという思惑があった。

 というのも、当時の日本車は安くて高品質ということもあって対米輸出が盛んであり、日米の貿易不均衡が問題となっていた。そこでアメリカは、日本製の高級車13車種の輸入に100%従価税を課すという一方的措置を発表。

 その交渉の席で、日本の主要自動車メーカーは自主的に貿易不均衡を解消する計画を評価し、紛争処理の合意に至ったワケだ。その一環としてトヨタが計画のなかにいれていたのがキャバリエのOEM販売や、北米現地法人のTMMで生産されたアバロンの輸入販売だったということになる。

 トヨタとしても輸出するモデルに100%の従価税を課されるのは避けたいところだったので、完全に大人の事情によって導入が決定されたというワケなのだ。

 ただ、クルマを購入するユーザーにとってはそんな国やメーカー事情は無関係であるため、キャバリエは残念ながら販売面では不発となり、5年間の計画だった国内販売の予定を切り上げて、販売から4年後の2000年4月に終売。

 当初は年間販売台数2万台を計画していたが、販売期間中の累計台数は3.7万台ほどと目標にはまったくとどかない結果となってしまったのだった。


小鮒康一 KOBUNA KOICHI

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日産リーフ(2代目)/ユーノス ロードスター/マツダ・ロードスター(2代目) /ホンダS660/ホンダ・オデッセイ(初代)/ 日産パルサー(初代)
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長距離ドライブ
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