勝田は歴史を塗り替えるか? WRC初の年間王者に挑む勝田貴元と日本人のWRC挑戦の歴史

この記事をまとめると

■勝田貴元選手は日本人初のWRC王座獲得へ挑戦している

■日本人のWRC挑戦は1970年代から続いている

■最高峰クラスで優勝した日本人は篠塚選手と勝田選手のふたりのみである

日本人初のシリーズ王座獲得へ向けて好位置

 全14戦で争われている2026年のWRCも後半戦へ突入し、ポイント争いがヒートアップ。そのなかで注目を集めているのが、トヨタGAZOOレーシングWRTでGRヤリスRally1を駆る勝田貴元選手だといえるだろう。

 ご存じのとおり、勝田選手は第3戦のサファリ・ラリーで自身初優勝を獲得したほか、続く第4戦のクロアチア・ラリーで2連勝を達成したことは記憶に新しい。その後も第8戦のアクロポリス・ラリーで3位入賞を果たしたことでタイトル争いを展開。まさに日本人初のWRCチャンピオンに向けて奮闘しているが、これまで日本人ドライバーのWRCチャレンジは険しい道のりだった。

 貴元選手の祖父、勝田照夫氏が1975年にイギリスのRACラリーに参戦するなど黎明期より日本人ドライバーが参戦し、1983年には照夫氏がクラス優勝を獲得するなど下部クラスで躍進していた。

 その後も神岡政夫選手や桜井幸彦選手、三好秀昌選手、小西重幸選手がWRCにチャレンジし、グループNで活躍していたが、日本人ドライバーのWRCチャレンジについてクローズアップする際に欠かせない存在となるのが篠塚建次郎選手だ。

 篠塚選手はご存じのとおり、三菱のエースとしてパリ・ダカール・ラリーで活躍してきたドライバーで、1997年のパリ・ダカール・ラリーで日本人初のウィナーに輝いているが、じつはWRCでも活躍しており、1991年の第12戦ラリー・コートジボワールでは三菱ギャランVR-4を武器に日本人初のウィナーに輝いた実績をもつ。

 当時はギャランを投入する三菱に加えて、アウディが90クワトロ、トヨタがカローラを投入していた時代で、まさに価値ある優勝だといえるだろう。篠塚選手は翌1992年のラリー・コートジボワールでもオペル・カデットGSIを駆るブルーノ・ティリー選手を抑えて大会2連勝を達成。まさにWRCに挑む日本人ドライバーとして、偉大な一歩を築くことになった。

 また、WRCとしては開催されていなかったものの、1995年のサファリ・ラリーでは日本人ドライバーの藤本吉郎選手が素晴らしい走りを披露。トヨタのワークスチーム、TTE(トヨタ・チーム・ヨーロッパ)のトヨタ・セリカで同大会を制したことも、日本人ドライバーの海外ラリー挑戦史において語り継がれるトピックスだ。

 そのほか、WRCの下部シリーズであるPWRC(プロダクション世界ラリー選手権)に目を向ければ、2005年および2007年の同シリーズで新井敏弘選手がチャンピオンを獲得。さらに2006年のPWRCでは奴田原文雄選手がラリー・モンテカルロを制覇したほか、同年のラリー・ジャパン、キプロス・ラリーを制するなど計3勝をマークしたことも、日本人ドライバーが残してきた功績だといえるだろう。

 とはいえ、最高峰クラスだけを見れば、WRCで優勝した日本人ドライバーは、いまだ1991年および1992年のラリー・コートジボワールを制した篠塚選手と2026年のサファリ・ラリーおよびクロアチア・ラリーを制した勝田貴元選手の2名のみ。マシンのスピードはもちろん、パフォーマンスやチーム体制が充実していることを考えると、勝田選手は今後も優勝を重ねる可能性が高いだけに、シーズン終盤も勝田選手の動向に注目したい。


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廣本 泉 HIROMOTO IZUMI

JMS(日本モータースポーツ記者会)会員

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