「スマホ撮影なんてムリだった……」35年連続完走、日野自動車のダカールラリー参戦車に乗ってわかった絶望的過酷さ

圧巻のスピード&路面環境で車内への衝撃は想像以上!

 完走だけでも難しいとされ、世界一過酷と言われるダカール・ラリーの歴史は1978年に遡る。当初は欧州・パリから西アフリカ、セネガルのダカールまでの壮大な舞台で競われた。いわゆる「パリダカ」の始まりだ。その後、政情などの影響により、2009年からは南米、2020年からは中東へとステージを移してきた。

 かつてはアフリカの未開の地をサバイバルしながら、涙あり挫折ありの冒険色が強いレースだったが、最近は”砂漠のF1″と表現されるほど、競技指向へとシフトしてきた。

 日野自動車は1991年に初参戦。それ以来、なんと34回連続で完走を果たしている(※当時。2026年も完走を果たして35回連続完走を達成)。

 参加車両は2輪と4輪に分かれ、4輪には市販車ベース、プロトタイプ、バギーのような特殊車両、そしてトラックが参戦。それぞれサイズや改造範囲で細かくクラス分けされており、日野チームスガワラは、北米向けの「HINO600」でトラック部門(T5・1クラス)に参戦した。

 以前はキャブオーバー型での参戦だったが、愛嬌のあるボンネットタイプに変更したのは、なにもデザインのためではない。前輪の上に座るキャブオーバーと、前輪より後方に着座するボンネットタイプでは、前輪からの突き上げを乗員が受ける負担が格段に違うのだという。”人に優しい”選択とのこと。

 とはいえ、今回採石場に設けられたコースで助手席試乗をさせていただいたが、その上下動と衝撃はハンパない! 飛行機で乱気流を通過するときの数倍の速さで激しく上下、前後、左右に体が持っていかれる。どちら方向に首の力を入れていればよいのかの判断が間に合わず、手持ちでのスマホ撮影は即座に諦めたほど。

 ドライバーの緊張はもちろんだが、同乗するナビゲーターとメカニックは計器などを見ながらだと言うから、その三半規管はどうなっているのか? それでも全開走行でもなく、はたまた路面状況も、もっとも激しいコースとは程遠いというから、その過酷さは計り知れない。

 なぜ、日野自動車はここまで過酷なラリーにチャレンジするのか。車両の弱点を洗い出し、信頼性と耐久性を高めて市販モデルへフィードバックするのも理由のひとつだが、最近は車両のスペックがラリー向けに特化しすぎている(そうでなければ勝負にならない)といった事情もあり、製品への直結の反映は減りつつある。

 そんななか、参戦理由のなかで重要となっているのが「人を育てる」ということ。日野は長年に渡って2代の菅原ドライバー(菅原義正・照仁親子)率いる日本レーシングマネージメントとチームを組み、ダカール・ラリーを戦ってきた。チームには日野自動車社員のほか、全国各地のディーラーからのメカニックも数名参加。ダカールラリーという過酷な現場で、思わぬトラブルが発生した際にどう対処するか、チームとして何をすべきか、どういった心構えをすればいいのか……というメンタルを鍛えることができるわけだ。

 2025年も、トランスファのトラブルに対し、メカニックは徹夜で対処。チーム全員が最後まで諦めなかった結果が、連続完走記録更新に繋がった。その記憶はきっと一生の”宝もの”となり、必ずや、日々の仕事へもフィードバックされるはずだ。

※本記事は雑誌「CARトップ2025年7月号」の記事を再構成して掲載しています


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