脅威的な当たり年! 東京オリンピックの1964年に誕生した名車5選 (2/2ページ)

もう二度と現れないであろう「日野」の美しい乗用車も誕生

3)伸ばしたノーズに6気筒を積む「日産スカイライン2000GT」

 日本車を代表する伝統のモデル、スカイラインを生み出したのは「プリンス自動車」だった。のちにプリンス自動車が日産自動車に吸収されても、スカイラインという名前が残ったのは、消滅させるにはあまりにも惜しいだけのネームバリューがあったからだ。そして、その要因となったのが、1964年に追加されたスカイライン2000GTだ。

 当時は1.5リッター4気筒エンジンを積んでいたスカイラインのホイールベースを伸ばし、2リッターの直列6気筒を強引に載せたのはレースに勝つため。ターゲットである日本グランプリでの結果は勝利ではなかったが、わずかな時間ながらポルシェの前を走ったということが伝説を生み出した。1964年に6気筒エンジンを積んだスカイライン2000GTが生まれたことは、いまにつながるスカイライン伝説の始まりになったのだ。

4)チェーン駆動により独立懸架を実現「ホンダS600」

 軽自動車で四輪の生産を始めたホンダが、初めて市販した登録車はオープンカーの「S500」だったが、そのデビューから半年足らずで排気量アップした「S600」を登場させている。名前のとおり、エンジン総排気量は606ccへとスープアップされた。もちろんヘッドはDOHCで、当時としては精密機械が載っているようなものだった。しかも最高出力は8500rpmで発生するというのだから、驚異的なエンジンだった。

 駆動レイアウトはFR(フロントエンジン・リヤドライブ)。リジッドのデファレンシャルの左右にチェーンを内蔵したトレーリングアームを配することで四輪独立懸架を実現するという凝ったメカニズムも魅力だ。

5)流麗なボディのリヤにエンジンを積む「日野コンテッサクーペ」

 いまでは商用車専業となったいすゞのベレット1600GTも紹介したが、やはりバスやトラック専業メーカーとなっている日野自動車も、この当時は乗用車を生産していた。そのなかで、いまも語り継がれる名車が1964年に誕生した2代目の「コンテッサ」だ。

 イタリアのミケロッティがデザインした美しいボディのセダン(9月発売)とクーペ(12月発売)を用意したが、リヤがスーッと伸びやかなスタイルのクーペの評価はいまも高い。

 エンジンは、そのリヤエンドに搭載したRR(リヤエンジン・リヤドライブ)レイアウトだったのもコンテッサの特徴。そのエンジンは総排気量1251ccの直列4気筒OHV、リヤエンド全面をグリル形状としてそこから風をファンで吸い込むことでラジエターを冷却した。


山本晋也 SHINYA YAMAMOTO

自動車コラムニスト

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