日本人にとって夢の「海外サーキット」! レーシングドライバーの前に立ちはだかる「巨大な壁」への挑戦とは (2/2ページ)

念願のモナコは残念ながら諦めることになったが……

 モータースポーツファンでもあった僕が、とくに「走りたい!」と憧れていた本場欧州のサーキットは南仏の「モナコ」とベルギーの「スパ・フランコルシャン」、英国「シルバーストーン」、仏「ル・マン(サルトサーキット)」、独「ニュルブルクリンク&ホッケンハイム」、伊「イモラ」などだった。このうちル・マンやニュルブルクリンク、シルバーストーン、イモラは走るチャンスが巡ってきたが、モナコとスパだけはなかなかチャンスが巡ってこない。

 とくにモナコは市街地の公道コースなためF1モナコGPか、それに併催されるレースに参加しなければ走ることができないのだ。1992年にブラバムでF1にステップアップすることができていたら、成績は差し置いても「モナコ」を走る夢は実現できたはずなのだ。

 レースキャリアのピークを過ぎてもモナコを走るチャンスには恵まれず、そこで前座レースに参加することを考えた。丁度そのころ、独・ポルシェ社が主宰する911によるワンメイクレース「ポルシェ911スーパーカップ」の1戦として「モナコ戦」が組み入れられていたのだ。じつは1992年に初開催された国内における初の「ポルシェ911カレラカップ」にゲストドライバーとして企画参加した経験があり、それを「モナコ」でも果たそうとポルシェ社に働きかけたのだ。

 欧州各国で開催される「カレラカップ」とは別にプロクラスが活躍する「スーパーカップ」に参加するのは現地でもすごく敷居が高い。各国で何十台も参加するカップカーだが、モナコでは20台の出走しか許されない。現地で活躍するチームでも、モナコ戦に参加するのは容易ではないことだった。

 だが企画書を書き、何年か越しの交渉で、1997年のモナコGP前座レースとなる「スーパーカップ・モナコ」のシートを得ることができるとポルシェ社から返事をもらった。それは長年の夢が実現可能となる「吉報」となるはずだった。だがふたつ返事を返してから間もなく、「残念だが貴方のモナコでのシートは確保できなくなった」との報が届いたのだ。聞けば翌1998年からF1へ昇格することが決まった高木虎之介選手が、経験したことのない「モナコ」のコースを学ぶためスーパーカップで走らせてほしいと、F1のマネージング組織から強硬に求めてきたというのだ。ポルシェ社としては従わざるを得ず、虎之介氏にシートを与えたと。

 その代わりに、貴方にはほかのどのコースでも選ぶ権利を与えると提示され、もうひとつ果たせないでいた夢のひとつであった「スパ・フランコルシャン」を選んだのである。

 このスパ・フランコルシャンでの「ポルシェ911スーパーカップ参戦記」は、次の機会にリポートさせていただこう。そして「モナコ」を走る夢は、いまだ実現されず夢のままであるのだ。


中谷明彦 NAKAYA AKIHIKO

レーシングドライバー/2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

中谷明彦
愛車
マツダCX-5 AWD
趣味
海外巡り
好きな有名人
クリント・イーストウッド、ニキ・ラウダ

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