苦境のスポーツカーで50年以上の長寿という偉業! 日産フェアレディZが存続できる秘訣とは (1/2ページ)

この記事をまとめると

■空白期間はあるが、1969年の誕生以来、ほぼ継続的に生産されてきたフェアレディZ

日産の二枚看板であり、もう1台のGT-Rとは棲み分けができている

■運転を楽しめて格好いいという商品価値によって、販売台数を確保して存続させている

GT-Rとともに日産の二枚看板だが棲み分けができている

 日産フェアレディZの7代目が、米国で発表された。初代フェアレディZは、1969年に誕生したので、以来、一時的な空白期間はあったものの、50年以上の歴史を積み上げたスポーツカーだ。

 もちろん、日産にはGT-Rもある。だが、こちらは元はスカイラインの高性能車として誕生し、そもそもスカイラインはプリンス自動車工業のクルマだったから、永年の日産ファンにとってはフェアレディZがより親しみがあるかもしれない。

 また、フェアレディZがふたり乗りのスポーツカー(一時は2+2の4人乗りもあった)であるのに対し、GT-Rは前後に座席を持つグランド・ツーリングカーだから、同じ運転を楽しめる高性能車であっても、車種としての棲み分けはできている。

 フェアレディZで重要なのは、消費者にとって身近なスポーツカーであることを貫き通してきたことだ。それが長寿の秘訣といえる。

 初代では、GT-Rと同じDOHCエンジン搭載車(Z432)もあったが、数多く販売されたのは日産が開発した直列6気筒OHCのL型エンジン搭載車だった。国内での排気量が2リッターであった(のちに240Zも追加となっている)が、米国では2.4リッターで販売され、そうした排気量の多少や、より高性能を狙ったチューニングなどへの余力をもつエンジンであったため、アフターマーケットのチューナーや、モータースポーツ参戦に向けた改良など幅広く行うことができたのも、フェアレディZが人々に愛された理由だろう。

 それであるからこそスポーツカーメーカーではなく、さまざまな乗用車を開発製造するフルラインメーカーでありながら、日産はフェアレディZを存続することができたのだ。


御堀直嗣 MIHORI NAOTSUGU

フリーランスライター/2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
日産サクラ
趣味
乗馬、読書
好きな有名人
池波正太郎、山本周五郎、柳家小三治

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