初代サバンナRX-7に乗っていた女性オーナーの正体は?
そんな初代サバンナRX-7(SA22C)は、1985年に新開発13Bターボを搭載し、さらにスポーツカー色を強めた2代目(FC3S)にバトンタッチされるのだが、当時、123(カスタム)~173(リミテッド3速AT)万円という価格で買えたことから「プアマンズポルシェ(主に北米?)」と呼ばれながらも、1979年のアメリカデイトナ24時間レースでライバルのフェアレディ240Zやポルシェ911と戦い、初戦ながらクラス優勝を果たし、アメリカでは多くの戦歴を残す、手に入れやすい価格のスポーツカーとして、アメリカ、日本のスポーツカーファンを熱狂させた、カスタマイズにも適した1台だったといえるだろう。
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1980年代前半、筆者は初代サバンナRX-7(SA22C)に乗る機会が頻繁にあった。ドアを開け、低い車体に乗り込み、チェック柄のシートに身を預ければ、両足を投げ出すようなドライビングポジションであり、ロータリーエンジンは当時、筆者が所有していたいすゞ117クーペのエンジンとは別物の、モーターのような回転フィール、加速力を示し、重く、しかしクィックなステアリングを操れば、まさに昭和を代表するスポーツカーの世界を堪能させてくれたものだった。何しろ0-400m加速は15.8秒という俊足。スピードメーター上限まで加速することも可能だったほどだ。
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ただし、後席は完全な+2であり、燃費は極悪。具体的には5速MT車で5km/Lぐらいだったと記憶している(乗っていないが、3速AT車だとさらに悪いはず)。当時のアメリカ車じゃないけれど、100円玉をブチまけながら走っているという感覚だったのである。
また、筆者がよく乗っていた5速MT車は、乗り心地や軽快なハンドリングこそ不満がなかったものの、トルクが細く、低回転域ではギクシャクした走りになりがち(当時のクルマ素人の筆者の運転スキルによる印象ですが)。つまり、高回転を得意としたエンジンだったというわけだ。
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冒頭で「筆者はいまでも鮮明にその姿を覚えている……」と記し、1980年代にRX-7を運転する機会が多々あったのには理由がある。それは当時、117クーペに乗っていた筆者の家の近くで、頻繁に女の子が乗る鮮烈なマッハグリーンのRX-7を見かけたことから始まった。
あまりにもよくすれ違い、前後に並ぶことから、ある日、意を決し、近所のとあるマンションの前に止まっていたRX-7の若き女性ドライバーに声をかけたのである。どんな声かけをしたかは覚えていないけれど、多分、「よくすれ違うんですけど、このRX-7、カッコいいですね、乗ってみたいな~」みたいな声かけだったはず。まぁ、ナンパといえなくもないですが……。
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彼女はこちらの117クーペにも興味があったみたいで、意気投合(昭和ならでは!?)。ついに筆者がRX-7(5速MT)を運転させてもらう、当時のデートスポットの定番、ユーミンが「日本人の心の中のリゾート」と呼ぶ、山中湖へのドライブデートにこぎつけたのである。
しかしだ、山中湖で遊び、夕方になってクルマに戻ると、ロータリーエンジンがかからない!! JAFを呼ぶことになったものの、遠路から来るため(確か、沼津基地)、山中湖湖畔の真っ暗闇の駐車場で数時間待ち。その時間が親交を深めたからか、その後、お付き合いをすることになった。だから、その後、頻繁にRX-7を運転する機会があり、マッハグリーンから、運転好き、スポーツカー好きの彼女の希望もあって、知り合いの塗装工場でポルシェのレッドに塗り替えたりもしたのである。
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その後、サバンナRX-7が出会いのきっかけとなった、「初めての愛車は、本当はマスタングマッハ1が欲しかった!!」というクルマ好きの彼女とはどうなったのかって? 現カミサンである……。