バブル景気到来でクルマのパワーも一気に上昇
ただし、ここで冷や水を浴びせたのが最高出力の表記(計測)に関する変更のお達しだ。エンジン単体のグロス表示から、より実車の搭載状態に近い計測方法のネット表示へ、1985年から徐々に切り替わっていったのだ。
この時期、一瞬だけパワーウォーズは陰りをみせる。
スカイラインの2リッターインタークーラーターボはネット表示になることで180馬力となり、中身は同じでもパワーダウンしたように見えた。同じ時期でいえば、マツダのロータリースポーツRX-7(FC3S型)の2ローターターボや、2リッターターボを積むトヨタ・セリカGT-FOUR(ST165型)であっても185馬力のネット表示となっていた。
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馬力がネット表示になって、最初に200馬力を超えたのはトヨタ・ソアラ(Z20型)やスープラ(A70型)に搭載された直列6気筒3リッターツインカムターボエンジンだ。そのスペックはネット表示で230馬力。国産最強エンジンとして、おおいに注目を集めた。
1987年には三菱ギャランVR-4が、2リッターインタークーラーターボとして、205馬力を実現。バブル景気が高まって行くなかで、国産車のパワーウォーズも盛り上がっていった。
まさにバブル経済と国産車パワーウォーズの象徴といえるのが、社会現象となった日産シーマだ。セドリック/グロリア・シーマとレパードに搭載されたV型6気筒3リッターツインカムターボの最高出力は255馬力に達したのだ。
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ただし、高速道路の料金所ダッシュでリヤを沈み込ませながら加速するシーマの姿は、エンジンに対してシャシー性能が追いついていないことも感じさせた。「シャシーに勝るエンジン」を荒々しく味わう昭和という時代を象徴する一台でもあった。
その後、冒頭でも記したように元号が平成に変わった1989年以降には、シャシー性能とハイパワーのバランスがとれたスポーツモデルが続々と登場。国産車の評価軸においても、まさに「昭和は遠くになりにけり」とばかりに、国産スポーツカーのレベルが一段も二段も上がっていった。
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それでも昭和末期に200馬力という、ひとつの節目を超えるモデルが各社から登場したことは、国産車の進化を語る上では忘れがたい事実だ。クルマの進化というのは一朝一夕ではなく、積み上げであることが再確認できるだろう。はたして、電動化が進む時代にはクルマの最高出力インフレはどこまで進んでしまうのか、末恐ろしい。
それでもkW(キロワット)という現在のSI単位とは異なり、馬力という言葉の響きで認識されていた昭和という時代。あの熱狂は、もう戻ってこないように感じるが、あなたはどう思うだろうか。