途中までアメリカで作って仕上げはイタリアでまたアメリカに輸送して販売!? 世界一長い生産ラインをもつと言われた「キャデラック・アランテ」って何もの? (2/2ページ)

キャデラックらしからぬ軽快な走りを実現

 また、GMとピニンファリーナのコラボはこのアランテが最初ではありませんでした。1931年、ピニンが作ったアラブ向けのボートテール・スピードスターはキャデラックのV16エンジンが搭載され、あるいは1959年にはエルドラドのボディを製造し、これまたアメリカに船便で送るという生産工程をこなしてきたのです。

 アランテのアメリカ国内ディーラー向けのプレゼンテーションはセルジオ・ピニンファリーナ本人が行い、人懐っこい人柄も相まって会場はスタンディングオベーションがしばらく続くほどの熱気だったと伝えられています。ちなみに、GMはFRを想定していたのですが、ヨーロッパでの販売を視野に入れていることを知ったピニンファリーナ側が「雪に強いFF」を強く推奨したため、生産車はFFが採用されています。

 アランテに搭載されたエンジンは当初4.1リッターのV8で、わずか135馬力/4400rpmというパワーでしたが、これはGMがパフォーマンス税制を戦略的に解釈したもので、後には4.5、4.6リッターへとスープアップがなされています。

 フェイスリフトは何度か行われていますが、使いづらくて評判の悪かった手動ソフトトップを電動化したことをはじめ、レカロ製シートのヘッドレストをモデルチェンジしたり、はたまたテレビゲームと揶揄されたメーターをアナログに変更するといったGMにしてはきめ細かなサービスも加えると相当な数になるはず。

 とにかく、これだけ手を尽くし、金をかけたのだから、SLごときに負けるはずない! そう首脳陣が考えたのも無理はありません。が、ご承知のとおり500SLは強力すぎました。北米における歴代SLでも屈指の売れ行きを示し、アランテは苦杯を喫することに。

 それでも1989年にはハードトップモデルを、1993年にはGM最高傑作エンジンと呼ばれるノーススターV8を搭載するなどのテコ入れが奏功し、1986~93年の間に2万1000台の生産を記録しています。

 また、アランテの後継モデルをピニンファリーナ(とくにサンジョルジョ村の工員たち)が涙ながらに熱望したとのことですが、300億ドルとも500億ドルともいわれる投資をGMは見送り、キャデラックの2シーターコンバーチブルは、2004年のXLRまで作られることはありませんでした。

 アランテは当時のディストリビューター、ヤナセによって相当数が日本国内にも輸入されました。フランス語で「疾走する」とか「躍動する」という車名のとおり、キャデラックのバッジをつけているわりに、軽やかで心地のいい走りだと大いに感心したことをいまでも思い出します。

 イタリア仕込みのレザーシートが傷みやすいのが弱点といえば弱点ですが、丈夫なアメリカンエンジン+シャシーと、イタリアンデザインのコラボレーションは現代の路上でも立派に通用するラグジュアリーと言えるのではないでしょうか。


石橋 寛 ISHIBASHI HIROSHI

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