【いまだに超先進なのになぜ?】ほとんど売れない「トヨタMIRAI」の2代目を出したことに意味はあるのか (2/2ページ)

EVならばもっと環境に負荷をかけないで済む

 それに対し、EVであればコンセントの口さえ設ければどこでも充電できるのである。急速充電器の設置にお金がかかるといっても、水素スタンドの建設とは桁が違う。つまり、同じ排ガスゼロ車といっても、エネルギーを補給する設備を拡充するための条件が天と地ほども違うのである。

 さらに、EVであれば既存の電力網との連携により、無駄な発電を減らし、電力の効率化をはかれる潜在能力がある。一方でFCVは、水素を製造しなければならない。水素は無尽蔵といわれるが、水素としてどこかにあるわけではない。物質(例えば水や石油)に含まれた水素を分解し、採り出して初めて燃料として使えるのであり、採り出す過程でエネルギーが必要だ。

 クルマを一個の商品(売り物)としかとらえられない発想はFCVを推進し、クルマが移動手段としてだけでなく社会基盤のひとつにもなるという価値の拡大(そこには自動運転とカーシェアリングも含まれる)を視野に未来を描けばEVになるのである。

 エンジン車で栄えた20世紀型のクルマづくりや価値しか考えられないでいると、世界人口がさらに増える21世紀には取り残されていくのではないだろうか。そこに早く気付いてほしい。


御堀直嗣 MIHORI NAOTSUGU

フリーランスライター/2023-2024日本カー・オブ・ザ・イヤー選考委員

愛車
日産サクラ
趣味
乗馬、読書
好きな有名人
池波正太郎、山本周五郎、柳家小三治

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